Cobalt's Movie Log

映画鑑賞の感想など

映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝/永遠と自動手記人形」を鑑賞

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私のようないい年をした男が、アニメを劇場で観るという状況に、少し気恥ずかしさを覚えながらも、映画館で観ました。月曜日の夜にもかかわらず、観客は結構多めでした。もちろんヤングな青少年が中心です。中くらいの劇場で、7割くらいは埋まっていたように思います。京アニを応援したいという人が多いのでしょうね。

 

映画の完成度は高く、ワンパターンのハリウッド映画を観るよりも、鑑賞後の満足感がありました。テレビのアニメも絵が相当綺麗でしたが、劇場版はさらに美しく、背景もよく描きこまれていて、大きなスクリーンで観る価値のある映像でした。

 

絵だけでなくアニメーションの動きも細部までつくりこまれていて、制作に関わった人たちの丁寧な仕事を通じ、アニメーションを愛する気持ちが伝わってきました。素晴らしい仕事をされています。事件についてあらためて憤りを感じます。

  

今回の映画で描かれたエピソードは、原作からアニメ化されていなかった姉妹のお話です。2部構成になっていて、前半はお金持ちに引き取られ、ヴァイオレットにマナーを指導される姉の話で、後半は原作の話を膨らませてつくられた妹の話です。

 

ネタバレになるので、あまり話の筋については書きませんが、少しだけ感想を。

 

姉妹がお互いを思い合う愛情の話です。児童文学のような設定のお話でしたが、涙腺が開放されるほどではありませんでした。というのも、テレビアニメではヴァイオレットが手紙を書くという仕事を引き受けながら、不器用ながらもいろいろと人の気持ちを学んでいくという話だったのですが、本作はヴァイオレット自身が成長するという話ではなく、二人の姉妹の物語になっているからです。タイトルも「外伝」とついてるので、そこをつっこんではいけないのでしょうけど。


まあヴァイオレットのお話は、来年の新作でしっかりと描かれるはずですので、待ちましょう。現在鋭意制作中とのこと。次は、テレビのアニメで原作から設定を変えられた部分が、たぶん描かれると思います。私は原作を読みながら、不覚にも泣いてしまいました。なんなのでしょうね。いい年して。妙に感情移入してしまいました。このアニメを好きな人は、必ず嗚咽しながら泣いてしまうでしょう。恥ずかしいので、人が少ないレイトショーで観ようと思います。

 

映画についてはこれくらいにして、原作についての感想を。


この物語は、ラノベっぽい設定や登場人物でそれっぽくカモフラージュされていますが、主軸はアスペルガー症候群でアレキサイミア(感情喪失)の少女が、いかに感情というものを理解しようとするかという真面目な話だと私は思っています。

 

世の中に、男性のアスペルガーを主人公にした話はたくさんありますが、私が知る限り、女性のアスペルガーを主人公にした話は初めてでした。

 

アスペルガーの人のコミュニケーションは通常型の人とは違っていて、 人との協調より自分の感性を優先するため、集団から浮いてしまいます。しかし改革を起こすイノベーターは、人の顔色をうかがわない人です。そうしたイノベーターは、アスペルガーの人が多いといわれていて、アップルのジョブスなどがその代表格。アスペルガーは病気ではなく、人類の進化のために、一定の割合数が生まれてくる仕組みになっていると私は思っています。

 

知人に、女性のアスペルガーの人がいて、男性のアスペルガーとはずいぶん違うなあと思って調べてみると、受動型アスペルガーといわれ、ジョブスのような人とは全く違う性格であることを知りました。


原作者の周囲に女性のアスペルガーの人がいるのではないか、と私は想像するのですが、その知見をこれだけの世界観へと育てた、原作者の知性、観察力、感性にものすごく感心してます。


ヴァイオレットはアスペルガーでありながら、アレキサイミアなのでしょう。幼少時の特殊な環境のせいで、感情を失ったのではなく、もともと自分の感情がないのです。だから他人の感情も痛みも理解できず、冷徹な殺人機械になることができた。しかし少佐と一緒に過ごすうちに、小さな感情が心に生まれるのです。誰かを思う気持ち「愛してる」が。

 

しかし、自分が他の人と違って感情がないのはよくわかっていて、それが発する言葉にあらわれています。例えば「ヴァイオレットは優しいのね」と褒められれば「私は真似をしているだけです」と答えたり。「ありがとう」と言われるたびにひどく動揺したり、アニメでの描写がひたすら細かいです。キャラ設定を徹底して守っているな、と感心します。


私がこの物語で少し残念に思うのは、ヴァイオレットの容姿を美化しすぎるところ。アニメというコンテンツでは、美形・美少女設定は王道であるし、おかしな性格で殺人マシーンの怖い子を、少佐が愛おしいと思うようになったり、郵便局に勤めてからみんなの愛されキャラに変わったりした合理性を、彼女の美しい容姿という設定で裏づけすることについては納得しますが、「普通に可愛い + あとは一生懸命なキャラ」くらいでよかったんじゃないかなあと。でもそれでは昭和の少女マンガになっちゃうか。

 

ラノベ作品のキャラ設定にコメントするのは野暮なことであると承知の上で、なぜ言うのかというと、私はこの作品をラノベファンタジー的な扱いにするのはすごく勿体無くて。

 

アスペルガー症候群を通じて、人間のやさしさや愛を描き出した斬新な物語であると思いますし、訴えていることも素晴らしいと思います。容姿が美しいというベースで作られる物語は、ファンタジーではあっても人間ドラマにはなりませんから、勿体ないと思いました。

 

もう少し言うと、たぶん作者は人が人を思いやる気持ちを永遠の価値、不滅の価値、素晴らしいものとして描こうとされているのだと思うのです。

 

人が人を愛するのに外見も重要であることを否定しませんが、物語の中心人物である心を持たない人形であったヴァイオレットが、心を探すきっかけになった愛情が、ヴァイオレットの美しい容姿がきっかけであったなんて、少し哀しいと思うのです。人の容姿の美しさは永遠でなく、時が経てば失われてしまうものですから。