Cobalt's Movie Log

映画鑑賞の感想など

胸糞映画「ハウス・ジャック・ビルト」を鑑賞

ひどい映画を観てしまいました。「ハウス・ジャック・ビルト」という映画です。久々に胸糞が悪くなる映画でした。帰る途中、何故「アラジン」を選ばなかったのかと後悔してました。

 

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娯楽映画ではなくアート志向の映画を観たかったというのもあり、「殺人アート」「グレン・グールド」というキーワードが目に留まったのです。グレン・グールドのバッハの曲が流れるうスタイリッシュなサイコサスペンス系映画だろうと勝手に期待してしまいました。

 

 マイナーな映画にも関わらず、席は2~3割くらい埋まってました。女を殺しまくる殺人鬼の話なのに、若い女性の観客も多かったです。

 

 

後で調べたら、監督は鬱映画ばかり作っているラース・フォン・トリアー監督。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の人ですよ。精神的に病んでる暗い映画ばかりつくっている人ですよ。先に監督名を知ってたら、もう少し警戒していたかもしれません。

 

話の筋はマット・ディロン演じるシリアルキラーが、次々に殺人を犯していくという話。殺害シーンや死体隠しなど、かなり細かくエグく描写しています。首絞めて殺して、心臓にナイフを刺すシーンなどリアルすぎてはっとします。ハリウッド映画ではタブーの子供を殺害するシーンもあるし(しかも母親の前で)、気分悪くなる要素が満載です。

 

グレン・グールドも知障っぽい映像を使ってるだけ。アートといいながら、最後につくった死体の家も美意識がない。とにかく、よくこんな映画を撮ったな、と感心するぐらいのひどい映画でした。しかし映像構成と役者の演技が素晴しいので、B級映画には落ちていません。この監督の才能はわかります。だから余計に作品として、たちが悪い。

 

私も残虐シーンには耐性があるほうだと思いますが、この映画は観ていて、かなり嫌な気持ちになりました。こんな映像つくったらあかんやろ、と思いながら見てました。それだけに、確かに感情は揺さぶられ、不快感は後に引きました。映像も目に焼き付けられました。異常な主人公の狂気的な行動と罪のない人々の理不尽な死、そして何よりも「人が人を絶望させる」という最低な行為を丁寧に見せられて、嫌悪感が膨れあがりました。人の幸福を願う心を持っているなら、こんな映画つくれないはず。

 

そして見終わって腹立たしくなったのは、そうやってさんざん人を不快にさせるための映像、自分が撮ってみたかった残忍な映像をつくって見せておいて、最後に主人公が地獄に落ちるとか、アートっぽい映像入れてファンタジーにするとか、煙に巻いて陳腐なオチにして、何かクレームがあったらいろいろ言い訳できるようにしてるんですよ。もう狡賢いというか、やることが中途半端。もしくは多少の良心があったのかもしれません。

 

この映画の存在価値が分かりません。サイコパスの価値観や行動を丁寧に描くことに何の価値があるのか。こんな映画に影響されるバカが世の中にいっぱいいることを知らないのか。人が普段意識していない精神的な領域を刺激するのが、アートだと思いますが、映画という媒体で、こんな角度から中途半端に刺激するのはアートとはいわないと思います。

 

人の残酷な話はたくさんあり、この映画なんてかわいいくらいの絶望的な物語は、人類の歴史で星の数ほどあります。この監督は人が絶望する物語が好きなのでしょう。許されるならナチスのホロコーストを映像化したいと思ってそうです。しかし、そういうものは映像化する必要がないと思います。文章でいいと思うのです。倫理観を伴ったイマジネーションと、情報にアクセスできるリテラシーを持った人間だけが、書籍で知識を得ればいいのです。映画という娯楽媒体で映像化するのは、弊害しかないと思います。

 

さぞかし酷評されてるな、と思っててネットで検索してみたら、褒めてる人、楽しんでいる人が意外と多いのです。こんな映画も需要があるのですね。映画祭でもスタンディングオペレーションがあったとか。知的な刺激があれば、どんな内容でも歓迎する人も少なくありません。

 

この映画はやりすぎ。私はいい映画だと思えませんでした。